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津軽五所川原

津軽五所川原


2009.9.20


今日は旅館を早めに出て津軽鉄道で金木から芦野公園へ。芦野公園で下車太宰治の小説「津軽」と共に時を刻んだのどかな駅で「駅舎」へ。「金木町長が東京からの帰り上野で芦野公園の切符を求め、(略)駅員に30分も調べさせ、とうとう芦野公園の切符をせしめた・・・・」(小説「津軽」より)駅です。「昭和の珈琲」太宰治も愛飲していたといわれ、当時のレシピをそのまま再現した珈琲と食事を。



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★太宰治が通った明治高等小学校跡地


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★雲祥寺


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幼少のときよく訪れていた寺


★斜陽館(太宰治の生家)


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津軽平野のほぼ中央に位置し、人口五、六千の、これという特徴もないが、どこやら都会風にちょっと気取った町である。善く言えば、水のように淡白であり、悪く言えば、そこの浅い見栄坊の町という事になっているようである。(小説「津軽」より)

明治の大地主、津島源右衛門(太宰治の父)が建築した入母屋造りの建物で、明治四十年六月に落成する。

米蔵まで日本三大美林のヒバを使い、階下十一室二百七十八坪、二階八室百十六坪、付属建物や泉水を配した庭園などをあわせて宅地約六百八十坪の豪邸です。

 この豪邸も戦後津島家が手放し昭和二十五年から旅館「斜陽館」として、観光名所になり、のちに旧金木町が買い取いました。



★太宰が暮らした疎開の家


長い間生家から絶縁されて、作家活動をしていた太宰が昭和18年に病床に伏していた母に会うために東京から帰郷して、この屋敷で涙をこらえたエピソードを「故郷」に!



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太宰治の生家「斜陽館」の東90mの所に生家の離れだった通称「新座敷」があります。



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太宰は昭和20年に家族と共に故郷に疎開。再び東京に出るまで22の作品をかいたそうです。



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帰去来・故郷・津軽・薄明・たずねびと・海・庭・親友交歓・やんぬる哉・母・・・これらの作品を順に読むと、戦中から疎開前後の太宰の面影がさらにいきいきと浮かびあがるそうです。今年の秋は太宰治の読書で!



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